なぜ「ゆめにっき」は作られたのか

作者
k.TAMAYAN
公開

「ゆめにっき」というゲームはその作品の特性上、内容について様々な考察がなされている。 だが、ここではあえて内容よりも、作者であるききやま氏が「なぜこのゲームを作ったのか」について考えてみたいと思う。

まず、ゆめにっきという作品は「ゲーム」という割にはあまりゲームらしくない。 「エフェクトを集めてエンディングを見る」というのが一つのセオリーではあるが、どちらかと言えばその過程で「夢の世界を歩き回る」ことがメインであるように思える。 そうでなければ、「火星」のようなエフェクトの置かれていないマップはゲームの進行上不要になってしまうからだ。 もし、このゲームに目的というものがあるとすれば、それは「ききやま氏の作った世界を堪能すること」であろう。 だからこそ、氏はBGMからグラフィックまで一人で手掛けたのだろう。 では、その動機は何だったのか。

作品を発表するということは作品を通じて他者とのつながりを設けることである。 「自分はこういうものを作ったんだけど、あなたはどう思いますか?」という問を投げかけることだ。 つまり、ききやま氏があのゲームを世に放ったということは、氏がそうしたコミュニケーションを望んだのだと考えられる。

コミュニケーションの中でも、作品を発表するというのは極めて変わったスタイルだ。 素直に他者との交流を求めるなら、会話のほうが手っ取り早い。 それをわかっていて、なお「作品」という形態をとるからには、他の形態では伝えられない何かがあるということだろう。 ゆめにっきというゲームを通してしか伝えられない何か。 ききやま氏はそうしたものを内側に抱え込んでいたのではないだろうか。

では、氏が抱え込んでいたものは何だったのかというと、それを言葉にするのは難しい。 なぜなら、言葉にできるようなものであれば、わざわざあのような形態で発表する必要がないからだ。

ききやま氏の中にあった「言葉にできない何か」。 それを表現し、伝えるためにゆめにっきは作られたのだと思う。